「竜とそばかすの姫」終盤のアンベイルは矛盾?小説版で解き明かされるしのぶくんの真意とすずの覚悟

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細田守監督の映画『竜とそばかすの姫』の終盤、主人公すず(ベル)が仮想世界<U>で自ら素顔を晒す「自己アンベイル」を決断するシーンは、映画公開当時、最も賛否両論を呼んだ場面の一つです。

映画の前半で「アンベイル」が最大のリスクとして描かれていたにもかかわらず、なぜ終盤でそのリスクを自ら負うという展開になったのか?

幼馴染のしのぶくんの提案は、無責任ではなかったのか?

多くの視聴者が抱いたこの「矛盾」「違和感」は、作品の評価を分ける要因となりました。

この記事では、映画で最も議論を呼んだこの「アンベイル」のシーンに焦点を当て、細田守監督自らが書き下ろした原作小説を読むことで、この展開が実は矛盾ではなく、物語の必然であったことがどのように解き明かされるのかを徹底的に考察します。


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この記事の監修者
つくつく

映画鑑賞は年間100本以上映画ブログ運営4年

中学生の頃に『スターウォーズ』に感動して以降、
映画の沼にハマり続けて20年。
結婚・出産後も年間100本は必ず鑑賞中。
Filmarksアカウントにも鑑賞レビューを掲載中。

目次

映画で最も賛否両論を呼んだシーン!「アンベイル」の危険性と終盤の展開

まず、映画の終盤の展開がなぜ多くの視聴者に「矛盾」「違和感」を与えたのか、その背景を整理します。

仮想世界「U」における「アンベイル」の持つ意味

仮想世界<U>において、「アンベイル」とは、アバター「As」のオリジン(現実の姿)を強制的に暴露する行為を指します。

  • 「アンベイル」とは何か?:「As」のオリジン(現実の姿)を強制的に暴露する行為は、社会的リスクを伴います。<U>では、現実のコンプレックスや過去を隠して活動しているユーザーが多く、素顔を晒されることは、彼らにとって「人生を終わらせかねないほどの脅威」として描かれていました。
  • 個人的な感想: 映画前半で「アンベイル」が最大の脅威として描かれていたからこそ、終盤の展開には「え、本当にそれでいいの?」と違和感を覚えました。この違和感こそが、小説版を読む動機となりました。

映画終盤の「矛盾」と批判のポイント

映画の終盤、竜を救うためにすずが自己アンベイルを決断する展開に対し、主に以下の2点から批判が集中しました。

スクロールできます
批判点内容違和感の根源
しのぶくんの提案幼馴染のしのぶくんが、すずに最大のリスクを負わせる無責任な提案をしたのではないか?ネット社会の危険性を知っているはずの友人が、なぜ無防備な行動を勧めたのか。
脚本上の違和感散々危険性を描いておきながら、自己犠牲的な解決策として描かれたことへの脚本上の違和感映画のテーマである「インターネットの光と影」が、終盤で軽視されたように見えた。

小説版で解消される「アンベイル」をめぐる矛盾と違和感

これらの批判や違和感は、小説版を読むことで、すずの行動が「無責任」ではなく「覚悟」であり、しのぶくんの提案が「無神経」ではなく「信頼」に基づいていたことが明確に描かれ、解消されます。

しのぶくんの提案の「真意」と、すずへの深い信頼

小説版では、しのぶくんがすずにアンベイルを提案するに至るまでの葛藤と、その真意がより詳細に描かれています。

  • 小説版で詳細に描かれるしのぶくんの葛藤と、すずの歌声への絶対的な信頼:しのぶくんは、アンベイルのリスクを十分に理解した上で、「恵に届く唯一の手段は、ベルの歌声と、それを歌うすずの素顔しかない」と確信します。彼の提案は、すずの歌声が持つ「人を救う力」への絶対的な信頼に基づいた、苦渋の決断であったことが伝わります。
  • 調査結果: 映画では省略された、アンベイルのリスクに対する周囲の具体的な配慮とサポート体制が小説版では描かれています。ヒロちゃんやルカたちが、すずの個人情報特定を防ぐための具体的な対策を講じようとする描写が加わることで、「無責任な行動」ではなく、「仲間たちのサポートのもと、覚悟を決めた行動」として再解釈されます。

「自己アンベイル」が示すすずの「覚悟」と「成長」

すずの自己アンベイルは、単なる竜を救うための手段ではなく、彼女自身の「成長」と「自己受容」の集大成です。

  • ジャスティンによる強制的なアンベイルと、すずによる自発的なアンベイルの決定的な違い:強制的なアンベイルが「支配」と「暴力」の象徴であるのに対し、すずによる自発的なアンベイルは、「勇気」「自己開示」の象徴です。この違いこそが、物語の核となるメッセージです。
  • 個人的な感想: 小説版を読むと、この行動が「臆病だった自分との決別」であり、「ありのままの自分を受け入れる」というテーマの集大成だと理解できます。そばかすのある素顔で歌うことは、「失われた快活な自分」を取り戻し、「痛みを持つ自分」を肯定する行為だったのです。

「U」のルールと「ジャスティス」の正義

アンベイルの矛盾を深く理解するためには、<U>の運営ルールと、ジャスティスの存在意義についても小説版で補完する必要があります。

「U」の運営ルールと「賢人」たちの沈黙の理由

  • なぜ「U」は自警団「ジャスティス」にアンベイルの権限を与えたのか?:小説版では、<U>の創設者である「賢人」たちが、「インターネットの自由」を重んじるあまり、「自治」を優先し、「支配」を目的とするジャスティスの台頭を許してしまったという、インターネット社会の光と影が示唆されます。
  • 小説版で示唆される「U」の創設者たちのインターネット社会への思想:賢人たちは、「もう一つの現実」としての<U>の可能性を信じ、安易な介入を避けます。彼らの沈黙は、「インターネットは、ユーザー自身の手で良くしていくべきだ」という、細田守監督のインターネット社会への思想を反映しているとも解釈できます。

竜(恵)を救うための「アンベイル」は本当に必要だったのか?

  • 恵の心の痛みに寄り添うために、言葉ではなく「素顔」を見せることの説得力:恵は、現実世界で誰にも助けを求められず、心を閉ざしていました。すずがベルとして歌うだけでは、「仮想世界の出来事」として片付けられてしまう可能性があります。
  • 調査結果: 恵が「ベル=すず」を信じるために必要だった「現実の証拠」こそが、すずの素顔でした。すずが「痛みを持つ自分」を晒すことで、恵は「自分だけではない」という共感と、「現実世界で助けを求めてもいい」という希望を見出すことができたのです。

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まとめ:小説版で「矛盾」を「必然」に変え、作品のメッセージを深く理解する

映画『竜とそばかすの姫』の終盤の「アンベイル」は、映画だけを観ると「矛盾」や「無責任」に見えるかもしれません。

しかし、原作小説を読むことで、それはすずの成長の必然であり、仲間たちの深い信頼に支えられた「勇気の行動」であったことが明確になります。

個人的な感想ですが、映画でモヤモヤした部分が、小説版を読むことで「なるほど!」と腑に落ち、作品全体への評価が大きく向上しました。

この「矛盾」が「必然」に変わる体験こそが、小説版を読む最大の価値です。

小説版を読むべき人は、以下の通りです。

  • 映画の終盤の展開に納得がいかなかった人
  • しのぶくんの行動の真意を知りたい人
  • 「アンベイル」という行為が持つ、物語における真のメッセージを深く理解したい人

賛否両論の結末に明確な答えを!

小説版で細田守監督の真意を読み解き、作品のメッセージを深く理解してください!

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