2023年に公開された映画「ゴジラ-1.0」。
ゴジラが初めて製作されて70年が経った記念として制作された超大作です。
そんな「ゴジラ-1.0」の最後、全員で敬礼をするシーンがあります。この敬礼はなぜ行ったのか、どのような意味が込められているのか気になっている方が多いと思います。
今回は、「ゴジラ-1.0」の最後の敬礼の意味となぜ敬礼だったのか考えていきます。
早速見ていきましょう!
映画の『ゴジラ-1.0』には小説版『ゴジラ-1.0』があるのをご存じですか?
戦後日本を舞台にゴジラを取り巻く人間模様が描かれますが、映画では、これはどうなの?なぜこの人はこんなことしたの?と疑問に思うことも、小説版では詳細に描かれていたりします!
しかも、
は、監督の山崎貴さんが書いているので映画の内容に忠実になっています。
映画の内容を保管するような形で物語が進むので、映画鑑賞後におすすめです♪
本で所有しているとちょっと重いし場所も取りますが、電子書籍なら気軽にサクサク読めちゃいますよ~♪
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映画鑑賞は年間100本以上・映画ブログ運営4年
中学生の頃に『スターウォーズ』に感動して以降、
映画の沼にハマり続けて20年。
結婚・出産後も年間100本は必ず鑑賞中。
Filmarksアカウントにも鑑賞レビューを掲載中。
最後の敬礼にはどんな意味が込められているのか
「ゴジラ-1.0」海外の視聴動画で最後に一緒に敬礼したのが最高すぎて、こっちまで泣けてくる😭 pic.twitter.com/0pjYFLmjNb
— マキオ (@Makio0001) May 5, 2024
「ゴジラ-1.0」の最後の敬礼にはどのような意味が込められているのでしょう?
何度も見返してみましたが、私には全く分かりませんでした(´;ω;`)
最後の敬礼の意味を考察するにあたり、まず「敬礼」について考えていきます!
敬礼の意味
まず、敬礼は一般的にどのような意味を持っているのでしょうか?
敬礼とは…
相手に対して敬意を表すための行為
日本でよく見る敬礼は、右手をこめかみにかざす礼や相手にお辞儀や握手を行う行為があります。
「ゴジラ-1.0」のラストシーンで使われている最後の敬礼は「挙手注目の敬礼」と呼ばれ、警察や軍隊で見られる右手をこめかみにかざす礼を行っています。
また、「ゴジラ-1.0」の舞台は太平洋戦争後の時代が舞台であり、登場人物のほとんどは日本海軍に関連しています。
そのため、最後の敬礼を行った先には、軍隊での敬礼のマナーとなっている「答礼」と呼ばれる、敬礼を返す動作を行っている人物がいる可能性も考えられるのです。
最後の敬礼は誰に対して?
3回目の『ゴジラ-1.0』鑑賞。
— オレンジ / Orange (@OrangePokeMori) December 5, 2023
今作のゴジラの造形は、絶望的な怖さや神々しさもあるけど、お顔が可愛いので、観る度に益々ゴジラが愛おしくなって来る。
やっぱり橘さん好きだなぁ。
一緒に観に行ったカミサンがクライマックスで敬礼のポーズをして吹いた。#ゴジラマイナスワン pic.twitter.com/bIEtl70Z9R
「ゴジラ-1.0」の舞台から軍隊がよく利用する挙手注目の敬礼が最後の敬礼だと分かりましたが、この敬礼は誰に対して行ったものなのか考えていきます。
最後の敬礼が行われたシーンは、海に沈みそうになるも抗うゴジラに対して、主人公の敷島が航空機とともに突撃し、ゴジラが海に沈んでいきます。この直後に軍艦に乗っていた海軍の全員が敬礼を行ったのです。
以上のシーンから最後の敬礼を行った対象は2つになります。
1.海に沈んでいくゴジラに対して行った敬礼
2.ゴジラに向かって突撃した敷島に対して行った敬礼
この2つの可能性が有力でしょう。
では、どちらが可能性として高いのかそれぞれ考えてみましょう!
1.海に沈んでいくゴジラに対して行った敬礼だった場合
まず、最後の敬礼がゴジラに対して行った場合で考えていきます。
「神を鎮めたから」「日本軍は健闘した相手に対しては敬意をもっているので…」
実際に映画の副音声の解説にて山崎貴監督はこのように回答しています。
また、山崎貴監督が撮影後に書き下ろした小説版「ゴジラ-1.0」には
「ゴジラに向かって敬礼を始めた」
と記されています。
山崎貴監督は、ゴジラは神のような存在であり、その神を鎮めたために「喜び」ではなく「敬意」を示すのが日本軍人としてのあるべき姿として考えて描いたのかもしれませんね。
2.ゴジラに向かって突撃した敷島に対して行った敬礼だった場合
次に、敷島に対して行った敬礼だった場合で考えていきます。
映画でも、敷島がゴジラに突撃した後、航空機から脱出し生存しています。
一般的な挙手注目の敬礼の意味で行ったのであれば、敷島に対して敬礼を行い、敷島も答礼を行った可能性があります。
実際、最後の敬礼後に描かれた軍隊が帰還するシーンでも敷島が先頭に立っているので、ゴジラを鎮めた敷島を英雄として迎えいれているかもしれません。
ただ、敷島に対してだった場合は、生存したこととゴジラを鎮めたことに対して「喜び」の方が勝つように感じるので、敬意を表すのは少し違和感を覚えます。
以上の2つの場合で考えていきましたが、私個人としては、監督が伝えたかった作品ということもあり、海に沈んでいくゴジラに対して行った敬礼だった可能性が高いように感じました。
最後の敬礼についての視聴者の声
実は最後の敬礼はなぜ行われたのかSNSでも賛否両論があります。
最後の敬礼に対して疑問の声
ゴジラ(神)に対して敬礼をするのはおかしいのではないか
最後の敬礼は敷島に対して行ったものでゴジラに対してではない
最後の敬礼のシーンは必要だったのだろうか
といった意見があるようです。
一方で、最後の敬礼に対して感動している視聴者もいます。
最後の敬礼に対して感動の声
最後の敬礼は日本じゃないとやらない展開
すさまじい神の姿を見せられて、敬礼しないといけないんじゃないか
最後の敬礼のシーンで思わず感動して鳥肌が立ちました
このような声がありました。
SNSを見ているとやはり最後の敬礼に対してたくさんの意見があり、どちらの意見も間違いではないかと私は感じました。
中には、私も興味深いなと思った感想もありました。
ゴジラ-1.0
— 木下昌輝@秘色の契り 11/1発売 (@musketeers10) May 4, 2024
のラスト付近で、ゴジラに敬礼する意味について喧喧諤諤やってておもろい。日本人を多数殺したゴジラに敬礼は矛盾する、という意見。神を殺したことへの謝罪。命あるゴジラを人間の都合で殺したことへのいたたきます的ないただいた命を無駄にしませんという意思表示。…
この方の感想は、最後の敬礼はゴジラを倒したことで戦争が終わった。というお話だと語っています。
舞台が太平洋戦争後の時代なので、終戦になったばかりの時期と考えられます。
そんな中でゴジラが襲来し、また人々が絶望に落ちてしまう。生きるために、戦争を終わらせるために奮闘した人々を描くための最後の敬礼だったのではないかと感じさせられます。
まとめ
映画「ゴジラ-1.0」の最後の敬礼について考察していきました。
結論としては…
最後の敬礼は、神を鎮めたために敬意を示す行為として行ったという意味でした。
ただ、シーンとしては脱出した敷島に対してや戦争を終わらせたという意味でとらえることもできるため、いろんな方面で映画を楽しめるのではないかと思います。
さまざまな議論が出すことが出来たり、何度も見返せる素晴らしい作品だと思いました。