【崖の上のポニョ】宗介は母親リサをなぜ呼び捨て?理由を考察!

ジブリ映画『崖の上のポニョ』は、宮崎駿監督が『ハウルの動く城』に続いて4年ぶりに手掛けた作品で『ぽーにょぽにょぽにょ』の可愛らしい主題歌も有名になり、大ヒットしました。

この作品では、主人公の「宗介」が両親のことを名前で呼んでおり、公開当時色々と話題になりました。今回は

  • 宗介はなぜリサ(母親)を呼び捨てにするのか

という理由ついて考察していきたいと思います!

ネタバレを含みますのでご注意ください。

目次

宗介はなぜリサを呼び捨てにするの?

理由①親であるリサの子育て方針

主人公の宗介は5歳の男の子ですが、作中で両親のことを「リサ」「耕一」と呼び捨てにしています。映画の中でそのことについて指摘する人物は登場しません。

このことについて公開当時や地上波放送時に

  • 子供が真似するのでやめてほしい
  • 教育上よくない

といった批判的な意見が多く寄せられたようです。

しかし、プロデューサーの鈴木敏夫さんが

  • (宮崎駿監督の設定として)おそらく母親であるリサが
    そう呼ぶように宗介を育てている
  • (呼び捨てにさせるのは)家族間であっても一個人として
    自立すべきだということの象徴なのだと思います」
  • 「もしかすると今後の家族のあり方かもしれない」

と、答えていました。つまり、

母親であるリサの教育方針として、
名前で呼ばせている

と考えられるのです。

個人的には「お母さん」と呼ぶより「リサ」と名前で呼ぶほうが、母としてではなく一個人として見ているようで、自立している感じがします。

中には親を呼び捨てにするのは「リサが自己中心的だから」「子供の教育が悪い」など批判の声が多くあったようですが、リサが人の命を大事にしている優しい人間であることは、大津波の中リサが老人たちを心配して助けに行こうとするシーンや、嵐の中海に浮かんだポニョを助けようとするシーンからもよくわかります。

理由②設定が現代だから

また、

時代背景を考慮した結果
呼び捨てになっている

という説もあります。

スタジオジブリの作品は設定が現代ではないことのほうが多いですが、「ポニョ」は現代が舞台になっています。現代の「友達親子」のような関係を描くために宗介に母親を「リサ」と呼び捨てにさせたとも考えられます。

前述したとおり、宗介は親を呼び捨てにしているからといって、決して見下したり馬鹿にしているわけではなく、むしろリサの言いつけをしっかり聞き、ポニョを守る優しく賢い子であることが分かります。リサの子育ては間違ってはいないと思います。

呼び捨てで親を呼ばせることで、設定が現代であることを物語っているのかもしれません。

宗介が両親を呼び捨てにする理由は?

宗介も両親を呼び捨てにする理由としては、

宗介が5歳にしては大人びていて精神年齢が高いから

と考えます。

リサは運転が乱暴だったり感情の起伏が激しいところがあり、いままでのジブリ作品に出てきた昭和の母親像とは一味違っています。

耕一も父親として頼りになっている場面が見当たりません。仕事の都合で下船が出来なくなった耕一に対し、リサが拗ねて宗介がなだめるなんてどっちが親かわからなくなりますね。

このように宗介のほうが一個人として大人であることを象徴するために、両親を名前で呼ばせているのではないでしょうか。

現代の若者の多くが、自分の親を呼び捨てで呼んだり「ちゃん」付けで呼んでいるそうです。

それについても「友達のような親子なら何でも話せて絆が深まる」や「親だから・子供だから、といった無用な線引きがなくなる」など肯定派の意見もあれば、「親への尊敬の念がなくなる」「親として頼れる感じがしない」といった否定的な意見も多くあるそうです。

私個人の意見としては親子間にしっかりとした信頼関係があれば、呼び名は何でもいい気もしますが、やはり子が親を呼び捨てするのには若干の違和感を感じてしまいます。

まとめ

ジブリ映画『崖の上のポニョ』で、宗介が母親リサを呼び捨てにする理由は、結論として

  • 両親の子育ての方針
  • 設定が現代であることを鑑みている
  • 宗介の精神年齢が高いことを表している 

と考えられます。名作「崖の上のポニョ」を違った視点で見てみてもいいかもしれませんね!

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