大ヒットジブリ映画『千と千尋の神隠し』にはたくさん見どころがありますが、その分疑問もたくさんあります。
たとえば、最後のシーンで、千尋は豚の中に両親がいないことを見抜きますが、なぜいないとわかったのでしょうか?
千尋がたくさんの豚の中に両親がいないと見抜いた理由について考察しました!
千尋が両親が豚の中にいないとなぜ見抜いた?理由は?
千と千尋、最後千尋が豚の集団の中に両親がいないってわかった理由だけど、両親は立て耳、見せられた豚達は垂れ耳だし色も違うように見えるから単純に品質の違いなのではってずっと思ってる pic.twitter.com/YhWSO4KCeT
— みみみ (@ok_mimimi06) January 20, 2017
そもそも、千尋は当初豚になった両親を探しに豚小屋に行ったりしましたが、結局その時は自分の両親がいるのかどうか、どの豚なのか、など全然見分けがつかずわかりませんでした。
しかし、湯婆婆が用意した豚たちのなかですぐに「ここにはいない」と即答するのです。そして「大当たり~」と言われ、見事、油屋の世界を抜け出すことに成功するのですよね。さて、なぜすぐに両親がいないと見抜いたのか、考察していくつか考えられる説をあげて見ます。
考察①銭婆の髪留めの魔力
■千と千尋お得情報メモ 千尋と不思議な世界を結ぶたったひとつの証拠とは…
この髪留めだけが、千尋が不思議な世界にいたことの証拠になりました。宮崎駿監督は「あの世界は全部夢だったというふうにしたくなかった」と語り、☞続く #千尋の髪ゴム pic.twitter.com/lOUHw5iNEq— アンク@金曜ロードショー公式 (@kinro_ntv) January 20, 2017
まず、1つ目に考えられるのは、
銭婆が千尋に与えた髪留めが
現実の世界に戻れるようにあらゆる方法で手助けした
という説です。
本作『千と千尋の神隠し』では、銭婆のところに尋ねた、千尋と坊とカオナシは、現代の若者の特徴を表していると一部では言われています。一方で、彼らを迎え入れた銭婆は、達観した大人の役割です。
銭婆が千尋たちを成長に導いたとしたら、髪留めに込められた魔力で千尋が両親を見抜けるように助けたとも考えられます。
千尋が最後の橋を渡った後、絶対に振り返っていけないとハクに言われたのに振り返りそうになるシーンがありますが、そこで銭婆がくれた髪留めが光って、千尋が思いとどまります。元の世界に戻れるように、銭婆が魔力があらゆる場面で守ってくれたのかもしれませんね。
考察②千尋が食べた苦団子の魔力
今、千と千尋の神隠しに出てくる苦団子食べたら黒〜いの吐き出しそう。むしろ出して浄化させたい。 pic.twitter.com/gO5JWbNQ0m
— おこめ (@e_asaasa) August 26, 2015
千尋が油屋で働き始めてすぐのころ、川の神様を献身的にもてなして、川の神様から苦団子をもらっていましたね。
この苦団子の半分はカオナシに与えて、カオナシが飲み込んだ人たちを吐き出させて元の姿に戻しました。またもう半分は瀕死状態のハクに与えて、悪さをしていた呪いを吐き出させて治癒させました。つまり、この苦団子にはとても大きな魔力があるのです。
そして、千尋はこの苦団子をもらってすぐに少しかじっていましたね。
千尋がかじった苦団子が作用して
千尋に両親を見分ける力を与えた
とも考えられるのです。
どのように作用したのかはよくわかりませんが、銭婆の髪留めと同じように、ものごとがうまくいくように魔力が働いたのでしょう。
考察③千尋が油屋での経験で成長した
次回は千と千尋📺✨
#金曜ロードショー
#千と千尋の神隠し
#スタジオジブリ
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本作は、頼りなくてどこか無気力の若者を象徴した千尋の成長物語でもあります。当初は、挨拶もできず鈍くさいだけの女の子ですが、湯婆婆のもとで働いたり、銭婆のもとを尋ねたり、さまざまな経験を通して、どんどん積極的、能動的に動けるようになります。
宮崎駿監督も、本作については、「10歳の症状が世の中ともいうべき中へ投げ込まれ、修行し、友愛と献身を学び、知恵を発揮して生還する物語」と言っているようです。
そんな千尋が物語終盤で、そこに至るまでに
身につけた行動力や判断力を活かすことができれば、
わりと簡単に両親がいるかどうかは見抜けるようになっていた
のかもしれません。
それはともすると、「生きる力」とも言えますね。やっと自分の足で立つことができるようになり、自分で大切なものを見極める力がついたのでしょう。
考察④特に明確な理由はない
僕の大好きな「千と千尋の神隠し」が金曜ロードショーで2022年の1月7日に放送だよ
絶対観てくれよな! pic.twitter.com/cKyCop711Z— かややん (@kaya00609) December 28, 2021
4つ目の考察は、
特に明確な理由、深い理由はない
という説です。こういってしまうと元も子もないですが…宮崎駿監督が、千尋が両親を見分けることができたシーンについて、次のように話しています。
最後の豚の集団を見て、千尋がお父さんとお母さんがそこにいないとなぜわかったのか説明していない。理論としておかしいと、説明を求めるタイプの人たちがいる。でも、僕はそういうのを大事だと思っていないから。
これだけ経験を経てきた千尋は両親がいないことがわかる。なぜわかるか、でもわかるのが人生ですよ。それしかないんですよ。
そんなにここが欠けていて、あそこが欠けていてって、指摘ができるなら、観客が自分で埋めればいいんだから。
僕はそんなところに無駄な時間を費やしたくないんですよ。
つまり、宮崎監督はあえて意味を与えていないと思われます。それは、
観客が自分の考えで自分で埋めればいい
という意図ですね。あえて、劇中で説明していない、ということです。観た人の想像にお任せ、ですね♪
千尋の両親がクズ過ぎる!
千尋は最終的に両親を取り戻すわけですが、そもそも豚にされた両親はクズ、冷たいといった評判もありますよね。
両親がクズと言われる理由となぜクズのような両親を描いたのか、考察してみましょう!
クズな理由①自分の欲望しか考えていない
実は千尋の両親がクズと言われる理由、その根拠とされるシーンは冒頭にたくさんあります(^^;;
挙げてみますと、
- 知らない土地で迷っていても適当に車を走らせる
- 狭い山道を爆走
- 千尋が止めても無断飲食
などなどです。
千尋たちの家族は、引っ越しのため見知らぬ土地を運転して移動します。しかし、どうやら道に迷ってしまいます。
お母さんが「このまま行っていけるのかな」と話しているにも関わらず、父親は車一台やっと通れる狭い山道を爆走…。計画性のない暴走っぷりです。
また、視聴者が冒頭シーンで一番度肝を抜かれるのが、両親が誰もいない屋台で勝手に料理に食らいつくシーンですよね。なりふり構わず食欲を満たそうとするシーンは、もはや狂気を感じます。私にとってはトラウマシーンです。。。
千尋が「ねぇ帰ろ、お店の人に怒られるよ」と言っても構わず食べ続けます。代金は後で支払えばいいからとお母さんは言いますが、そういう問題ではありません。クズと言われても仕方ないですよね。
クズな理由②子どもの気持ちに寄り添わない
また、クズな理由のもう一つに、両親が子どもの千尋の気持ちに寄り添わないことも挙げられます。例えば、
- トンネルに入りたがらない千尋を車内に置いていこうとする
- 怖がる千尋に「そんなにくっつかないで」とあしらう
- 怖がる千尋を「早くしなさい」と急かす
などなど、です。
不思議な世界に繋がるトンネルを前に、千尋は何か嫌な予感がして「ここいやだ」とトンネルに入ることを拒否しますよね。しかも3回も「行きたくない」と言います。3回も言うのだから何か相当気に入らないことがあるのだろうと、親としては察するところです。
しかし、両親はそんな千尋の気持ちに全く寄り添わず、「千尋は車の中で待ってなさい」とあしらいます。千尋の心細さに気づけないのもダメ親ですが、さらには見知らぬ山奥に止めた車内に10歳の女の子一人を待たせるなんて、危ないと思いませんか…?親としての責任感がなさすぎだと思います。
怖がって側に寄ってくる千尋に対して、母親は「そんなにくっつかないで、歩きにくい」と冷酷な態度。さらには、先を行くお父さんの元に駆け寄りながら、千尋には「早くしなさい」と冷たく言い放ちます。
ここまで来ると、もう豚になっても仕方ないよね、とまで思います(^^;
千尋の両親はとにかくクズなダメ親として描かれていますね。
千尋の両親はなぜクズ設定なのか
千尋の両親は、なぜこれほどまでにクズなダメ親として描かれているのか、なにか意図があるのではと考えてしまいたくなるくらいの非常識ぶりですよね。
全くの私の考えですが、
身を削らないと経験・成長が得られない千尋世代と
欲望のままに行動することで望みが叶えられた親世代との対比
だと思います。
『千と千尋の神隠し』が千尋の成長物語だと位置づけると、親はあくまでその比較対象です。『千と千尋の神隠し』が公開された2001年は、バブル崩壊からちょうど10年程経過し、就職氷河期なども言われ、世間は不景気とデフレに喘いでいました。なんとなく世の中の空気感も重苦しかったように思います。
そんな時代を生き抜くには、千尋のように身を削って(というか、湯屋で身を売って)、自分から経験し成長せざるを得ない状況があってやっとそれなりの生活がしていけるようになるという人々が多かったのでしょう。一方で、一世代前に青春を謳歌した親世代はバブル真っ只中で、特に大きな苦労をしなくとも世の中が勝手に好景気で、ある意味欲望のまま生きていれば楽して生活ができたわけです。
クズな両親の設定は、映画公開当時の世の中の空気感、みたいなものを体現することで、千尋の成長過程と成長の動機を色濃く映し出しているように思われました。
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まとめ
大ヒットジブリ映画『千と千尋の神隠し』で、千尋がなぜ最後の豚の中から両親がいないと見抜けたのか、その理由について考察してきました。考えられる説として、
- 銭婆の髪留めの魔力が作用したから
- 川の神からもらった苦団子が作用したから
- 千尋が成長したから
- 特に明確な理由はなし
というのがありましたね。
『千と千尋の神隠し』以降のジブリ映画作品については特に、観客自身が欠けている部分を埋めていくものが多いように思います。観たときに感じたことを素直に受け止めるだけでいいのかもしれませんね♪