紅の豚のポルコはなぜ豚に?魔法の理由と解ける意味とは

ジブリ映画『紅の豚』で、主人公のポルコはなぜ豚になったのか、説明がされていないため、気になった人も多いですよね。

  • なぜ豚になったのか
  • 豚になる魔法がかかっている理由は何なのか
  • 魔法が解けることはどういった意味があるのか

という、ポルコの豚の姿にまつわる疑問について、いくつか考察しました!

決して正解はない疑問だと思いますので、皆さんも一緒にいろいろ考えてみましょう。

目次

紅の豚のポルコはなぜ豚になったのか?

ポルコがなぜ豚の姿になってしまったのか、という疑問については、実は公開当時のパンフレットの前書きに、はっきりと書かれています。

迫り来る新たな戦争を前に再び国家の英雄になることを拒み、

自分で自分に魔法をかけてブタになってしまいます。

そうです。つまり、

ポルコは自分で自分に魔法をかけて豚の姿になっている

のです。

誰かから与えられた罰でも呪いでもなく、あえて自ら選んで豚の姿になっているのです。思い返してみれば、映画の中でも、自分が豚の姿になっていることについて特に気にも留めていませんでしたね。

人間同士のいざこざについては「自分は豚だから関係ない」という発言もしていました。治そうという気もないようです。

つまり、ポルコは意思を持って豚の姿になっているのですが、その理由は何なのでしょうか?

魔法をかけた理由

考察①自分への罰

『紅の豚』の舞台は、第一次世界大戦が終わった後、第二次世界大戦の前です。本作の劇中では、ポルコが戦争での戦いを回想するシーンがあります。

それは、ポルコがイタリア空軍に所属していたころ。一緒に戦っていた戦友たちは「ずっと高いところにある一筋の不思議な雲」に向かっていき、亡くなりました。ポルコだけが生き残ったのです。死んだ仲間には、ジーナの夫も含まれいたことも示唆されています。

当時の話をポルコとジーナが会話するシーンで、ジーナは「神様がまだ来るな、と言ったのね」と声をポルコに言いますが、ポルコは

お前はずっとそうして一人で飛んでいろって言われた気がしたがね。それに、あそこは地獄かもしれねえ」

と、答えています。

また、他にも

「死んだ奴は”いい奴”さ」

と、ポルコは自虐めいて発言しているときもあります。

ジーナの店に飾られている、ポルコが人間だったころの写真には、ポルコの顔がぐるぐると黒く塗りつぶされていました。それだけ、当時の人間の自分に嫌気がさしているのでしょう。自分自身を肯定的に捉えられていないことがうかがえます。以上から、

自分が一人だけ生き残ってしまったことによる罪の意識から
自分への戒めとして侮辱の対象となる豚になった

と、考えることもできます。

ある意味で、人間の自分はもう死んだことにして、これからの人生は疎まれる「豚」として生きようというポルコの決意の表れなのかもしれません。

考察②人間と俗世から離れるため

当時の時代背景として、第一次世界大戦と第二次世界大戦の間であることはすでにお伝えした通りですが、そのころ、

  • 世界恐慌
  • 人々の生活の苦しさ

が言われていた時代です。飛行艇の会社のピッコロが「近頃は札束が紙くず並の値打ちしかない」とボヤいていたのは、インフレにより、お金の価値が下がっていたのですね。世界的な不況の始まりです。

また、男性は皆出稼ぎに出たり、ガソリンの値段が3倍に跳ね上がっていたりと、生活の面では苦しくなっている状況が描かれていました。

そんな状況でも、国家は次の戦争への足取りを進めていました。ポルコは、銀行で愛国債権の購入を勧められたり、フェラーリン少佐から映画館で空軍に誘われたりしましたが、ポルコは次のように答えています。

(愛国債権について、ポルコ)

そういうことはな、人間同士でやんな

(フェラーリン少佐)
「冒険飛行家の時代は終わったんだ、
国家とか民族とかくだらないスポンサーを背負って飛ぶしかないんだよ」

(ポルコ)

ファシストになるより、豚の方がマシさ
俺は俺の稼ぎでしか飛ばねえよ

ポルコは、国家、民族、戦争、そういった政治や人間の欲が渦巻く人間ならではのごたごたには全く興味がなく、自分で自由に生きることを望んでいることがうかがえますね。

人間と人間が生み出す無意味な争いや世俗的な社会から
離れたい

という思いで豚になったことも考えられます。ほとほと、うんざりしていたのでしょうね。

豚という姿は人間のそういったごたごたからはかなり遠い存在です。犬や猫のようにペットとして人間のそばにいることもなく、むしろ家畜で、「人間から使われる身」です。そもそも、人としてみなされない姿に変わることで、人間と距離を置こうとしていたように思われます。

考察③ジーナを悲しませないため

さらに考えられるのは、

人間の姿でジーナに期待させ悲しませないため

ということです。

ジーナは3回結婚していますが、3回とも夫に先立たれています。もう涙も枯れてしまったと言っていましたが、ジーナは、劇中で、もし自分が庭に出ている間にポルコが姿を現したら今度こそ彼を愛する、という賭けをしていました。

それくらいジーナにとってポルコは大切な相手ですし、愛する対象でもあったのです。

しかし、先にご説明した通り、ジーナの夫はポルコが生き残った時に死んでいます。また、ポルコも今は戦争から離れていますが、またいつ戦争に行くことになるか、わかりません。そんなときにまたジーナを悲しませることになってしまってはいけないと、あえて豚の姿で距離を置いているのでしょう。

結局、ジーナはポルコが豚の姿でも愛していましたし、周囲の女性も冒頭で黄色い声援を送っていたので、あまり見た目は関係ないのかもしれません。しかし、ポルコ自身がジーナに近づきすぎないようにという自戒の意味も込めて自ら変身しているとも思われますね。

魔法が解ける意味

ポルコが豚の姿になる魔法について考察を進めてきましたが、劇中で2回、ポルコが人間の姿になったと思われる瞬間があります。それは、

  1. フィオが寝ているそばで銃弾の手入れをしている時
  2. カーチスとの決闘後にフィオに別れのキスをされた後

です。

いずれも、フィオに関わってからの出来事です。そして、ポルコは思わずつぶやいていますね、「人間も捨てたもんじゃない」と。

ポルコは欲にまみれた人間から離れたいという思いを持って、豚の姿になる魔法を自分で書けていたという風に考えると、おそらく、

人間でもいいかな、と思ったときに
魔法は解けてしまう

という意味なのではないでしょうか。

戦争へ向かう世の中や、その時代に身を任せて欲望のままに突き進む人間たちがたくさんいる状況でも、人と人との交わりに温かさを感じるのは、どんな人間だって一緒です。ポルコも、時代に流されず自分のやりたいことを懸命にやるフィオに触発されて、人間の姿もいいもんだ、と思ったのかもしれませんね。

まとめ

ジブリ映画『紅の豚』のポルコがなぜ豚の姿になったのか、魔法がかかっている理由や魔法が解ける意味について、調べてきました。

  • ポルコ自らが魔法をかけて豚になっている
  • 魔法をかける理由は、自分への罰や、人間から離れるためや、
    ジーナを悲しませないため、
    などを考察
  • 魔法が解けるのは、
    人間も良いな、と思ったとき

という風に考察してきました。

しかし、これらには正解はありません。自分なりにいろいろ考えてみて、ポルコの生きざまに想いを馳せてみるのも楽しいですね♪

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