細田守監督の映画『バケモノの子』で、一郎彦がクジラになったのはなぜなのか、気になりませんでしたか?
しかも、映画では蓮と楓が小説『白鯨』について語っていたり、何かとクジラが登場します。
小説『白鯨』と映画を通して登場するクジラはいったい何を意味して、どんなメッセージを伝えようとしているのか、考察しましたので見ていきましょう!
『バケモノの子』なぜ一郎彦はクジラになったのか
海(深海)も恐怖症+巨大物恐怖症のダブルパンチ🤛
そういやバケモノの子を映画館で観た時、巨大クジラで発狂しそうになった(恐怖で) pic.twitter.com/vTu0OzaUhU
— カミナリノイチゲキ (@5_rainbrow) August 1, 2017
一郎彦の闇とクジラの関係
最終的に、一郎彦は人間であること(つまりバケモノに育てられた「バケモノの子」)であることがわかりましたが、一郎彦は人間の闇に囚われてしまいました。
つまり、
一郎彦の「人間の闇」=クジラ
として表現されていたのですね。
しかし、なぜクジラだったのか?という点については、映画の中で詳しくは説明されていませんでした。そこで、「クジラ」を考察してみたいと思います。
「クジラ」は映画のキーワード
一郎彦が変身した姿として「クジラ」が突然現れたのではなく、それまでにも伏線が存在していました。
むしろ、「クジラ」は『バケモノの子』のキーワードになっています。登場する「クジラ」には、2つあります。
- 蓮の家での引っ越し準備の際に、本棚から引き抜かれた児童書『白クジラ』
- 蓮が図書館で手にした『白鯨』
この2つが登場した「クジラ」です。
特に『白鯨』の児童書版『白クジラ』のシーンは見逃していました…!映画冒頭で、蓮の親戚が集まって引っ越し準備をしている際に、本棚から引き抜かれて段ボールに放り込まれていたのですね。
『白鯨』については、楓に「鯨」の読み方を尋ね、蓮と楓が出会うきっかけとなりました。
たまたま手に取ったように見えた『白鯨』ですが、実は冒頭の『白クジラ』ともリンクしているし、それを見た一郎彦が鯨に変身するし、かなり重要な意味があったんですね!
作品を通して「クジラ」が意味するもの
一郎彦の闇を現わすためになぜ「クジラ」でなければならなかったのか、については、先ほどお伝えした伏線である『白鯨』のストーリーが大きく関係してきます。
その『白鯨』については、次に見ていきましょう↓↓
小説『白鯨』の意味は?
Herman Melville‼‼‼
そうなんです✨✨この映画ではメルヴィルの有名作である白鯨(Moby-Dick, or the Whale)が扱われているんです✨✨✨後半にはさらに…..#バケモノの子 #金曜ロードSHOW pic.twitter.com/AE72T4fSwg— 💜TaKuMi ARASHI LOVE💜 (@M08300515J) July 27, 2018
小説『白鯨』のあらすじ
『白鯨』は、
- 原題:Moby-Dick;or The White Whale
- 著者:ハーマン・メルヴィル(アメリカの小説家)
- 発行年:1851年
- ジャンル:冒険小説、海洋小説
- アメリカ文学を代表する名作、世界の十大小説の一つとも称される
という、文学作品としては名作中の名作で、有名な作品です。
それでは、『白鯨』のあらすじをご紹介します。
アメリカの捕鯨船団が世界のあらゆる大洋に進出し、盛んに捕鯨を行っていた19世紀後半のお話です。
語り手であるイシュメルは、捕鯨船ピークォド号に乗り込みます。
船長であるエイハブは、かつてモビィ・ディックと名付けられた白いマッコウクジラに片足を食いちぎられ、義足を装着していました。
エイハブは、片足を奪った「白鯨」に対する復讐心に囚われ、狂気に満ち満ちていました。
様々な人種の乗組員たちとの冒険を、大スケールで描いた、海洋冒険物語です。
エイハブ船長の白鯨に対する復讐心と、一郎彦や蓮が持っていた人間の闇は、どこか通ずるところがあるように思えます。もう少し深く見ていきましょう。
『白鯨』と『バケモノの子』の関係性
『白鯨』については、楓が蓮に考察を話していますね。
「クジラは自分を映す鏡で、主人公は自分自身と戦っているんじゃないかな?」
かなり意味深に楓は蓮に話していました。
この点を踏まえて、クジラに変わってしまった一郎彦と連との最後の戦いを考察してみると、
一郎彦の人間の闇がクジラという姿に変わっていましたが、蓮側から見ると、
クジラに変わった一郎彦は「自分自身」であり、蓮は自分の闇と戦っていた
ということを暗に描いていたと考えることができます。
つまりは、一郎彦が「クジラ」になったのは、制作陣側の意図がかなり込められているということになります。「クジラ」でならなければならなかったのですよね。
どんどん深掘りしましょう↓↓
蓮がクジラ(一郎彦)に勝利した意味とメッセージは?
バケモノの子のCGめっちゃやばない?
クジラのシーンめっちゃ感動した
1つ1つの映像やばいんだけど
内容もよかったけど映像に感動!! pic.twitter.com/8WhxzJQVHs— 沙弥🐰 (@aaa2438) February 27, 2016
どんどん巨大化するクジラに蓮が直面した際、初めは蓮自身の闇(という名の穴)に一郎彦自身も取り込んで一緒に死のうとしていましたね。
これは自暴自棄になって自ら命を絶とうとする人間の心の持ち方を表しているように思えました。人間特有ですよね。
しかし、刀になった熊徹のおかげで目が覚める蓮は、刀を使って一郎彦(という名の自分自身が抱える闇)を退治し一件落着、となります。
これは、蓮が熊徹というサポートを使って闇を消し去った、ということですよね。つまり、『バケモノの子』が蓮の行動を称賛するものであるとしたら、
自分自身の闇には一人で退治することは難しく、ときに気づかぬうちに闇に飲み込まれてしまうこともある。
だから、周りの人の助けを借りて、自分が抱える負の感情と対峙していこうよ。
そんなメッセージかな…と捉えました。
バケモノに育てられたバケモノの子の冒険物語、というより、人間だからこそ抱えてしまう闇に対してどう対処していくのかを、対処の難しさと共に描いた映画だと受け取りましたね。
とはいえ、こういった考察をする映画は、観た人の受け取り方によって異なります。皆さん、自由に解釈してみましょう♪
まとめ
『バケモノの子』で一郎彦がなぜクジラになったのか、登場する『白鯨』が何を意味するのか、について考察してきました。結論としては、
- 『白鯨』は、クジラという自分自身と戦うストーリー
- 一郎彦がクジラになったのは、蓮が自分の闇と戦うストーリーにするため
- つまり、一郎彦のクジラは蓮の闇、蓮自身を表していた
ということが考えてきましたね。奥が深そうですね…何度も観たくなる作品です。