伝説的ロックバンド「クイーン」のフレディ・マーキュリーの出身地や国籍、家族、母親や父親について、調べました!
映画『ボヘミアンラプソディ』を観ると、気になることが多いんですよね。特に、フレディや家族はインド人なのか、ゾロアスター教なのか、といったところも疑問に思った人も多いはずです。
それでは、フレディマーキュリーに関する疑問あれこれ、解決していきます!
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フレディマーキュリーの出身地と国籍は?
出身地はザンジバル島?
フレディ・マーキュリーの出身地と国籍については、
- 生まれ:ザンジバル島(当時はイギリスの保護国、現在はタンザニア)のストーン・タウン
- 育ち(出身地):インド マハーラーシュトラ州
- 国籍:イギリス
というふうに整理できます。
フレディは、ザンジバル島で生まれました。ザンジバル島はここにあります。
ザンジバル島
ザンジバルとは、アフリカにあるタンザニアの東側、アフリカ東海岸に浮かぶ島々のことを言います。ヨーロッパからの観光客でにぎわいリゾート地です。
ザンジバルは20世紀に入ってからもイギリスの保護領でしたが、1964年にザンジバル革命が起こり、ザンジバル人民共和国が樹立されます。この革命で、多くのアラブ人とインド人で多数の死傷者が出ました。
フレディと彼の家族もこのザンジバル革命に巻き込まれ、身の危険を感じたため、イギリスに移住したというわけです。フレディは当時17歳でした。
フレディと彼の家族は、もともとイギリス保護領のザンジバルにいましたので、もともとイギリス国籍なのではないかと思われます。
家族や父親・母親はインド人?
父親と母親はインド人であり「パールシー」
フレディの家族、つまり父親や母親は
ペルシャ系インド人であり、ゾロアスター教=「パールシー」
と呼ばれる人たちなのです。
もともと、ゾロアスター教という宗教はササン朝ペルシア(現在のイラン)時代に興った宗教です。このササン朝の滅亡を機に、インドに退避した集団がありました。インドに移り住んだゾロアスター教徒のペルシャ人をパールシーと呼びます。
ややこしいですが、フレディの両親はインド人ですし、ゾロアスター教徒でもあります。そしてもちろん、
フレディもインド人でゾロアスター教徒
という理解になるでしょう。ちなみに妹もいますが、妹も同様ですね。
フレディの出自はコンプレックス?
映画『ボヘミアンラプソディ』でも描かれたように、フレディはインド出身であるということを周囲に話したがりませんでした。
幼少期はインドやザンジバルで過ごしていたはずなのですが、当時の出来事や学生時代の話をほとんど語らなかったようです。
クイーンのメンバーもその点は知っていて、あえてフレディを問い詰めたりすることはありませんでした。
フレディはインドの全寮制英国式寄宿学校、セント・ぺーターズ・ボーイズ・スクールに通っていましたが、その寄宿学校時代に男性と初めて関係を持ったと、後にフレディの愛人となったポールが暴露しています。
フレディ家族が信仰したゾロアスター教とは
ゾロアスター教の特徴
映画でも度々登場するゾロアスター教について、簡単にお伝えすると、
- 火を尊ぶため「拝火教」とも呼ばれる
- ササン朝ペルシア時代は国教でもあった
- 鳥葬(死体を道端に放置し、ハゲワシに喰わせる)があった
といった感じです。一番特徴的なのは、「鳥葬」だと思います。
実は現代でも鳥葬の文化はあるのですが、ハゲワシのような鳥が減少しているのと、遺体を長時間放置することの腐臭が問題となり、さまざまな議論を呼んでいます。
フレディの葬儀は鳥葬?
フレディもゾロアスター教なので、鳥葬というのが本来の習わしです。
しかし、そもそもヨーロッパ各地では遺体を自然にさらして鳥に食べさせるのは違法となるため、ヨーロッパに住むゾロアスター教徒は火葬して遺灰を自然にまくということが多いようです。
フレディもその習慣にならって火葬され、遺灰はフレディの生涯の友人だったメアリーが、フレディと生前に約束していた場所にまいたそうですが、どこにまいたのかは明らかになっていません。
『ボヘミアンラプソディ』
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まとめ
フレディマーキュリーについていろいろ確認してきましたが、結論としては、
- フレディはザンジバル島生まれでインド出身。国籍はイギリス。
- 家族である父と母はパールシー(ペルシャ系インド人でゾロアスター教徒)
- フレディもゾロアスター教とだったが、火葬された
といったところでしたね。
生まれや育ちなどは、あくまでその人が生きた過去の枠組みでしかありません。フレディマーキュリーは人種や国を超えた活躍を見せてくれましたね。