ドクターコトーはなぜ島に赴任?モデルになった人の実話も紹介!

ドクターコトー診療所 ドクターコトー なぜ島に 赴任 モデル 実話

離島医療の現実を描いた『Dr.コトー診療所』ですが、医師として離島に赴任することは、設備面や代わりがいないというプレッシャーからかなりハードルが高いのがわかります。

それなのになぜコトー先生は志木那島にやってきたのでしょうか?

そしてコトー先生のモデルとなった医師が実在していて、どんな方なのか気になりますね。

そこで今回は、

  • ドクターコトーはなぜ島に赴任した?
  • ドクターコトーのモデルとなった人物はどんな人?
  • ドクターコトーはどこまでが実話?

について紹介していきたいと思います。

ネタバレを含みますのでご注意ください。

目次

ドクターコトーはなぜ島に赴任した?

ドクターコトーがなぜ志木那島に赴任したのかは、ドラマの第一期で描かれています。

ドクターコトーこと五島健助は、東京にある昭栄大学付属病院に勤務していました。

しかし、病院である医療ミスが起こり、責任を感じた五島先生は医師としての自分を見つめ直すために志木那島に赴任することに決めたのです。

医療ミスといっても、実際はコトー先生が起こしたわけではありません。

どんな医療ミスが起こった?

医療ミスが起こったのは、コトー先生が昭栄大学病院に勤務していた頃。ある夜のことでした。

コトー先生と共に当直勤務をしていた新人研修医の三上新一は、2人の急患が運び込まれ、緊張状態になってしまいます。

極度の緊張で三上は患者に間違った薬を投与してしまいますが、コトー先生の処置で大事に至りませんでした。

コトー先生はもう一人の急患の処置を三上に頼みますが、その時にコトー先生は『もうミスは勘弁してくれ』と三上に言ってしまったのです。

それでパニックに陥った三上は、患者を放置して逃げだしました。

コトー先生が気づいた時にはすでに手遅れとなっており、患者は死亡してしまいます。

コトー先生は激務でかなり疲れていたため、三上に対してイライラしてしまい少しキツく言ってしまったのでしょう。

経験の浅い研修医とはいえ、医師なのに現場を放置した三上が一番悪いと思いますが、コトー先生が責任を感じてしまうのはわかりますね。

コトー先生の立場に立って考えてみると、もうその病院にはいられないと思うでしょうし、医師である意味を見つめ直したくなった出来事だと感じました。

ドクターコトーのモデルとなった人物はどんな人?

ドクターコトーにはモデルとなった人物がいます。

外科医の瀬戸上(せとうえ)健二郎さんという方で、鹿児島県薩摩川内市の下甑(しもこき)島にある手打診療所の所長を38年間務めていました。

瀬戸上健二郎さんは、1941年3月に鹿児島県で生まれました。

鹿児島大学医学部を卒業した瀬戸上健二郎さんは、国立療養所南九州病院で外科医長を務めた後、1978年から下甑島の診療所に所長として勤務したのです。

瀬戸上健二郎さんは、幼少期に盲腸の手術を受けましたが経過が悪く、別の医師に診察してもらうことに。

腹部から内出血をしていたことがわかり、無事に助かった瀬戸上健二郎さんは、助けてくれた医師に進路を相談します。

『医者はおもしろいぞ』と言われ、それから猛勉強の末、鹿児島大学医学部に合格したのです。

医師となった瀬戸上医師は、研修医時代に離島医療と初めて関り、『2週間という期間ながら、自分が未熟で恐ろしかった』と当時の気持ちを明かしました。

自分の経験が浅い状態での離島勤務は緊張の連続だったでしょうね。

瀬戸上医師はお産にも立ち会ったそうですが、助産師資格がある看護師のサポートで乗り切ったと話していました。

そして下甑島へ

瀬戸上医師は独立開業するため、1978年に勤務していた国立療養所南九州病院を退職しました。

すると下甑島から『半年間だけでも来て欲しい』と嘆願され、瀬戸上医師は赴任することを決意。

赴任したものの、下甑島の医療設備は最低限のもので、手術も不可能な状態だったそうです。

また、住民も新しく赴任してきた瀬戸上医師に対し歓迎はしていましたが、手術を断るなど信頼をしているとは言えませんでした。

瀬戸上医師は信頼関係を築くことを目標に奮闘します。

時間をかけて医療設備を備え、住民たちのために治療を行い、瀬戸上医師は離島医療に没頭していきました。

『気づけば38年経っていた』と語る瀬戸上医師は、2017年に所長を引退して相談役となりましたが、変わらずに医師として活動しています。

瀬戸上医師のような人がいなければ、離島医療が取り上げられることもなかったかもしれません。

都市部に住む人々は病院に行けば診察してもらえることができますが、離島や山間部に住む人々は医師がいない、またはいたとしても設備が整っておらず、満足いく治療が受けられないということを『Dr.コトー診療所』から知ることができました。

医師1人への負担を考えるとかなり過酷ではありますが、どんな場所でも安心して暮らせるようになるよう希望を持ちたいですね。

ドクターコトーはどこまでが実話?

『Dr.コトー診療所』は原作漫画がドラマ・映画化され、主人公のコトー先生のモデルとなった人物もいますが、作品自体はフィクションです。

モデルとなった瀬戸上医師の離島医療への志は、コトー先生も同じだったはず。

Dr.コトー診療所の原作漫画・作者の山田貴敏さんは、瀬戸上医師本人から医療関連会社への取材など、多くの人々に話を聞いて作品を作り上げていきました。

ドラマや映画版『Dr.コトー診療所』で起こったことは、離島で起こりうる話が多かったですし、瀬戸上医師の経験を織り交ぜているのだと思います。

だからこそ、Dr.コトー診療所からはリアルさを感じるのかもしれませんね。

\映画『Dr.コトー診療所』/
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まとめ

ドクターコトーはなぜ島に赴任したのか、モデルになった人物、実話なのかを紹介してきました。

結論とすると、

  • ドクターコトーは医療ミスから医師としての自分を見つめ直すために島に赴任した
  • ドクターコトーのモデルとなったのは医師の瀬戸上健二郎さん
  • 瀬戸上医師は鹿児島県下甑島で40年間医師として勤務した
  • Dr.コトー診療所はフィクションですが、綿密な取材がされている

ということになります。

モデルとなった瀬戸上医師の活動が素晴らしく、今もお元気に鹿児島で暮らしていることを嬉しく思いました。

そういったことを含め、Dr.コトー診療所を鑑賞してみてはいかがでしょうか。

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