名作と名高い映画『スタンド・バイ・ミー』の中で、主人公ゴーディが旅の途中で一人で鹿を遭遇するシーンがあります。しかし、ナレーションで「鹿と出会ったことについては誰にも話したことがない」と説明されます。
ゴーディが見た鹿にはどんな意味があったのでしょうか、またなぜ周囲の誰にも鹿のことを離さなかったのでしょうか?どうやら深い意味がありそうだったので、どんどん掘り下げて考察していきたいと思います!
ゴーディが見た鹿の意味
ゆるキャン△2期11話、最後のしまりん抜け駆け温泉のシーン。仲間は大切だけどそれでも良い物を独り占めしたい感覚、スタンド・バイ・ミーの鹿のシーンを彷彿とさせる。 pic.twitter.com/hLyOQxfHOj
— tkn (@tkn0703) March 21, 2021
再生の象徴
ゴーディが見た鹿が、この映画の中でどのような意味を持っているかを考えるにあたり、まず鹿が一般的にどのような意味に取られるのか、考えていきましょう。
鹿は、「再生の象徴」を意味し、
キリスト教では、「生命の泉に至る魂」
を表しています。
これは、ジブリアニメ『もののけ姫』に登場する「シシ神様」を想像してもらうとイメージしやすいのではないかと思います。シシ神様も鹿の角を持つ、生と死をつかさどる山の神でした。また、鹿は奈良県の奈良公園にもたくさんいて、「神の使い」として保護されるようになったという話もあります。
鹿はどうやら神聖な生き物というイメージが強いようですね。
ゴーディが出会った鹿も、「再生」「生命の泉に至る魂」という神聖な何かを意味するのだとしたら、あのときゴーディは野宿をした次の日の朝、これまでの自分とは違う新しい自分に再生し、「死」から「生命」に至ったのだと考えられます。
つまり、あの時あの瞬間に、ゴーディは弟思いの兄を失り両親からも気にかけてもらえない、心の状態は「死」に近かったはずですが、これまでの友だちとの旅や、野宿した夜のクリスとの会話で、心が楽になり、新たな「生命」として生まれ変わった、そのように考えられます。
少年から大人となり、兄の死を乗り越えたということを意味していると、考えられます。
未来へ導く
もちろん、鹿はほかの意味にも捉えることができます。それは、
鹿は「未来を導く聖獣」
という考え方です。
鹿は、「未来を導く聖獣」であり、西洋の神話にも、日本の神話にも、鹿が「神の姿」になって登場しているようです。
このタイミングで鹿に遭遇するのは、きっとゴーディにとって、人生のターニングポイントとなったはずです。このあたりから映画でも、弱弱しいゴーディからたくましい自信のあるゴーディに変化しているのがわかります。
ゴーディが鹿を見たことを誰にも話さなかった理由
久しぶりにスタンド・バイ・ミーみたい。
ゴーディが「さよなら」って言った時に「 “またな” って言えよ」ってクリスが言った場面とかもうクリスぅぅうううって感じ(え)
とりまみたい。 pic.twitter.com/dzpHkKkz71
— さむさむ。 (@boo_dk_svt) January 27, 2020
ゴーディが鹿を見たことを誰にも話さなかったのはなぜなのでしょうか。
ナレーションの中では、鹿との体験を誰にも話さなかった理由として、
「大切なことほど他人には伝えにくい。言葉にすると色あせるからだ」
と、簡単に説明されています。ゴーディにとって、この鹿との神々しい静かな時間は、おそらくこれまでの子ども時代には体験しえなかったことだと思われます。
子ども時代は、気の合う仲間と同じようなことを一緒にして、楽しい時間を共有することで、仲が深まりました。クリス、テディ、バーンがそうですね。
しかし、この死体探しの旅で、ゴーディは、
- 自分が良くできる兄に比べられて父親から「お前が代わりに死ねばよかったのに」と言われて
自分の価値に疑問を感じていることをクリスに打ち明けたり、 - クリスが周囲からのレッテルに苦しんでいる話を聞いたり、
- テディが心を病んでいる父親から虐待をされていても愛そうとする、
子としての切ない運命を背負う姿も見たし、 - マイペースなバーンの命を橋の上で助けるようなこともしてきた
のです。
これまで同じ道を歩んできたし、これからもしばらく一緒にいるだろうと思っていた仲間たちでも、やっぱり環境も、考えも、価値観も、悩みも、いろいろ違うし、すべてを共有することはできないししたくない、とゴーディは感じたのではないかと思います。
だから、鹿との静かな時間は、自分だけのものだし、いくら気の合う仲間たちとでも共有しえない大事な体験だと感じたのでしょう。おそらく3人に話したところで、このときのゴーディの気持ちを共有できるとは思えなかったはずです。
皆さん、大人になる過程で、こういう感情抱いたことないでしょうか?ちょうど中学に上がる前に、なんとなくこれまでと友だちとの関係が変わるような、体験だったと思うのです。
そのほか『スタンド・バイ・ミー』に見られるメタファー
鹿以外にも、『スタンド・バイ・ミー』には、さまざまなメタファーが盛り込まれています。順に見ていきましょう。
橋=別世界への入り口、通過儀礼
線路上を4人が歩いていると、橋が現れます。橋を渡っている途中で電車が来てしまうと、逃げ場がありません。橋の下は、深い谷で川が流れています。落ちれば命はないでしょう。
そんな橋を目の前に、ゴーディたちは、他の道はないのか、遠いのか、など言って橋を渡ることを躊躇します。一般的に、
橋や扉は、別世界への入り口モチーフ
として使われます。ゴーディたちの冒険物語においても、この橋を渡ることでいよいよ大人という別世界につながる通過儀礼が始まる、というメタファーと言われています。
銃=男性の象徴
一般的に
銃のメタファーは男性器の象徴
と使われることがあります。『スタンド・バイ・ミー』では、クリスがこっそり父親からくすねてきた銃をゴーディに渡していました。
ゴーディは2回銃を発砲するシーンがあります。1回目は、クリスに「弾は入っていない」と聞いて試し打ちするシーン。実際に弾は入っていたので、驚いたレストラン従業員の人が「誰かがかんしゃく玉でいたずらした」と騒ぎ立てていました。
かんしゃく玉とは、クラッカーボールとも言い、火薬が入っている爆竹のようなもので、地面に打ち付けるなどして大きな音を立てて遊ぶものです。英語では「cherry bomb」とも言われるのですが、この「cherry」には童貞の意味があるので、男性器を象徴する銃と対比的に、童貞の爆発を表していると解釈が可能です。
このとき、ゴーディは一つ大人へと成長したということですね。
2回目は、終盤で、不良のエースたちからクリスを守るために、ゴーディが毅然とした態度で発砲します。このころのゴーディの顔つきと、1回目の発砲時の表情は全く違いますよね。ゴーディは大人として立派に成長したのです。
パンツの中をヒルに噛まれる=女性の成長
ヒル、見たことないけど「スタンド・バイ・ミー」の川のシーン怖かった。 #1134golden pic.twitter.com/Bz6YUOd1jv
— JH 😷💜 (@yujingwan) July 9, 2020
近道を選んだ4人は深い沼を渡りましたが、そのとき、体中にヒルがへばりつき、血を吸われるということがありました。
不幸にも、ゴーディはパンツの中にもヒルがおり、無理に引き剝がしたせいか、ゴーディの手は血まみれに。ゴーディは気絶してしまいました。このシーン、女性で言うところの「初潮」を象徴しているように見えるのです。
そもそも、ゴーディはずっとクリスのそばにいて、どこか女性的に演出されています。兄の死や両親からのあたりのきつさ、兄の帽子を取られてしまう、などゴーディには乗り越えることが多く、精神的に追い込まれていたと思われます。自分が確立し始める年代のゴーディには、男性でも女性でもない中世的な自分が誕生し、それも自分として受け入れ始めていると解釈できます。
嘔吐=普段の鬱憤
暖を取りながら4人で一服する夜、ゴーディは「パイ食い競争」の物語をみんなに披露します。物語の主人公は太っていることを馬鹿にされているデビー・ホーガン。彼はパイ食い競争で見事な復讐を果たすのですが、みんながみんな嘔吐しまくるシーンなので、トラウマになっている方もいるかもしれません(^^;
ゴーディが語った物語では、普段の生活で不満、鬱憤を抱えている相手に嘔吐するよう描かれており(夫は妻に、双子の兄弟はお互いに、婦人会は男性たちに)、
兄が亡くなってからも兄と比較され続けるゴーディの鬱積した気持ちが吐き出されている
と解釈されます。
まとめ
『スタンドバイミー』でゴーディが見た鹿の意味と、なぜ鹿を見たことを誰にも話さなかったのか、その理由を考察してきました。結論、
- 鹿は「再生の象徴」「未来へ導く聖獣」
- 鹿を見たゴーディは新しく生まれ変わった
- 鹿を見たことを誰にも話さなかったのは、
誰とも共有できない大切な体験だと感じたから
と考察してきました。いろいろ解釈できる映画だと思いますので、何度も見返したくなりますね。