細野守監督のアニメ映画『バケモノの子』の最後に熊徹はどうなったか気になりませんでしたか?
- 剣になって九太の心の中に入ったというのはどういうことなのか、熊徹は死んでしまったのか?
- というか、その後の熊徹はどうなってしまうのか?
ラストシーンにはいろいろ謎が詰まっていますよね!その意味を掘り下げて考えてみたいと思います!
それでは早速見ていきましょう!
『バケモノの子』熊徹は最後剣になって死んだ?
胸の中の……剣…………… #胸の中の剣 #バケモノの子感動しすぎでやばい #熊徹 pic.twitter.com/FspYNHprsE
— アンク@金曜ロードショー公式 (@kinro_ntv) July 22, 2016
剣に転生したってどういうこと?
『バケモノの子』の熊徹は、一郎彦を戦う九太(蓮)を救う形で、剣になって登場しましたね。
熊徹は、闇に囚われた一郎彦に刀で刺され、瀕死の状態でした。九死に一生を得たものの、前宗子に「神様になる権利をくれ」と頼むのでした。
宗子だけが神様になることができるのですが、ちょうど熊徹は猪王山に勝利して宗子となったばかり。だから神様にさせてもらえたのですね。
映画冒頭では、神になることについて、「宗子を引退して神になる、何の神になるかは考えられる」と説明されていました。炎の太刀の付喪神に転生したというのは、物理的には死を意味するかもしれませんが、魂は神様として別の場所、つまり熊鉄の場合はこの炎の太刀にあるのでしょう。
だから、熊徹の魂が宿った剣は、熊徹の意思で久太の心の中に入っていったのですよね。
付喪神(つくもがみ)とは
そもそも付喪神(つくもがみ)って何?となった人も多いと思いますので、付喪神について考えます。
付喪神とは、長い年月を経て使った道具やものに宿る神や精霊(霊魂)のこと
です。物でも長く使い続けていると魂が宿るというのは、なんとも日本らしい信仰ですね。
熊徹の魂が宿った太刀(剣)も、古くから使われている物だったのでしょう。熊徹は、一度は熊徹としての生涯を終え、その太刀の付喪神に転生したというわけです。
熊徹は最後「胸の中の剣」になった
熊徹は最後死んだのかどうかが気になるところですが、これまでお話ししてきたように、
肉体としては死んだものの、炎の太刀、つまり九太の胸の中の剣として生き続けている
のではないかと思います。
そもそも、映画のはじめの方、熊徹が九太を指導するシーンで、
熊徹「胸のなかに剣があんだろ!胸ん中の剣が重要なんだよ」
九太「は?そんなもんあるか」
熊徹「ここんところ!ここんところ!」
という会話があり、「熊徹が九太の胸の中の剣になる」伏線が張られていましたね。とても説明下手でしたが(^^;
ラストシーンの意味(熊徹のその後)
やっぱ、映画館で見たかったな…と、ものすごく後悔。
なんとなく予想はしてたけど、案の定、涙ボロボロ。九太の”胸の中の剣”になった、くまてつの最後の笑顔、泣かずにはいられない。 pic.twitter.com/3PdKzJfSr7
— ぽん (@tZdk51CyAtQ22dn) July 22, 2016
九太と熊徹の2人のラストシーンは、戦いを終えた早朝、九太が胸に手を当てて、熊徹とこんな会話を繰り広げます。
九太「俺のやること、そこで黙ってみてろ」
熊徹「おう!見せてもらおうじゃねえか」
この会話の時、熊徹は熊徹の姿をして登場しますが、どこか九太のイメージ映像のような描かれ方でした。
九太は胸の中にいる熊徹の意識に対して、熊徹の姿をイメージしながら話しかけていたのでしょう。
この会話は2人が笑いあって終わります。九太が熊徹に「黙ってみてろ」と言っていることからわかるように、熊徹はその後、
熊徹の意識はこの会話を最後に別の世界に移動し、
九太の思い出として、そしてもっと精神的な意味での「胸の中の剣」=心の支えとして、生きていく
のでしょうね。
まとめ
映画『バケモノの子』の熊徹は最後死んだのかどうか、剣になったというラストシーンの意味について考察してきました。結論としては、
- 熊徹は肉体的には死んだが、九太の「胸の中の剣」として生きていく
ということですね♪何度も楽しみたい作品です!